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神さまのまなざし


たとい山々が移り、丘が動いても、

わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、

わたしの平和の契約は動かない。

とあなたをあわれむ主は仰せられる。


(イザヤ書54章10節)


ぼくたちがどこにいても、どんな時でも、たとえ目をそむけていても、

神さまはいつもぼくたちに目を向けている。

神さまのこころは、ぼくたちに語りかけたいこと、伝えたい願いではち切れそうになっている。

ときにはほほえんで、ときには涙を浮かべて、ときにはきびしい目で、ぼくたちを見つめている。

そんな神さまのまなざしに気づいているだろうか。

語りかけている小さな声に耳をかたむけているだろうか。

熱い願いを受けとめようとしているだろうか。

(写真:昨年夏、泊めていただいた十勝の友人宅の窓からの景色です。)


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