いのちのパン Ⅰ.空洞 忙しい生活の中で、ふっと、空虚な気持ちに襲われる、そんな経験はないでしょうか。また、むなしさや孤独といつも向き合いながら生きている、そんな方もおられると思います。 17世紀に活躍した有名な哲学者に、ブレーズ・パスカルという人がいます。パスカルは数学者、発明家、実業家としても多くの功績を残しましたが、イエス・キリストを信じるクリスチャンでもありました。そのパスカルが、次のようなことばを残しています。 人間の心には、創造主である神だけにしか満たすことのできない神のかたちをした空洞がある。 私たちのこころが孤独を感じ、むなしさを覚えるのは、ちょうど私たちのからだが水分を取らなければ渇きを覚え、食事を取らなければ空腹を覚えるのと似ています。 聖書は、神様が、私たち人間を、ご自身のかたちに似せて造られたと教えています。ご自身とこころを通わせ、いっしょに喜ぶことのできるパートナーとして人間を造られたという意味です。私たちのこころの深いところにある空洞は、人間が造り主である神様との関係を失ってしまった時にできた痕跡であるとパスカルは考えました。 人々は、こころの深くにポッカリと空いたその空洞を何かで満たそうと忙しく生きています。趣味、友達、仕事、結婚、子ども、ボランティア、宗教、お金、成功、名声・・・・あるいは、アルコールやギャンブル・・・。しかし、どんなに良いものであっても、あるいは、どんなに刺激的なものであっても、この空洞を埋めることはできません。しばらく、満たされたように感じても、その充足感はやがて消えてしまいます。 Ⅱ.Kさん もう何年も前の話しになりますが、ある時、友人の紹介で、一人の若い女性が私の事務所に訪ねて来ました。ここでは、Kさんとしておきます。Kさんは、初めて会った私に、たんたんと自分の身の上を話してくれました。お父さんがアルコール依存症で妻や子供に暴力をふるう人であったこと。お母さんが自分たち三人の幼い子どもを残して家を出てしまったこと。妹と弟のために、ずっと我慢してお父さんと同じアパートで暮らしてきたけれど、その生活に嫌気がさして、家族から離れ数年前に東京に出てきたこと。そんな身の上を話してくれました。 Kさんは、実家に残してきた妹さんと弟さんのことを心配している様子でした。都会の孤独な生活に疲れ果て、自分の人生をむなし