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一切れのパン


一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、

ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

(箴言17章1節)

わずかなものしかなくても

それにこころから満足し、

すべてを与えてくださった神さまに感謝して、

自分と身近な人たちを大切にし、

神さまがゆるしてくださったように、その人たちをゆるし、

神さまや自分、家族や友人を傷つけた時には、

すなおに「ごめんなさい」と言える。

こころがおだやかで、

小さなことに、ありがとうと言える。

そんな人たちとの出会いがあった。

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